第37回 人間の行動は「不合理」なのだろうか-行動経済学と社会心理学①-

2013.08.12 山口 裕幸 先生

 今回からは、人間行動の不可解さについて考えていきたい。行動観察をより効果的に活用するために役立つはずであるし、他者の心を読もうとするときにも参考になるはずだ。その出発点として、行動経済学の話題を取り上げよう。

 人間の経済行動には不可解なものが散見される。衝動買いはその代表であろう。また、自分の趣味には(他者から見ると魅力は乏しくても)惜しみなくお金をつぎ込むのに、授業テキストの専門書の購入になると、とても節約家になる学生をよく見かけるが、そうした消費者行動も当てはまるだろう。伝統的な経済学にとっては、そうした人間行動は、「不合理」なものであり、「謎」であり、せっかく立てた経済施策の計算を狂わせる原因とみなされてきたようだ。

 他方、社会心理学の世界では、人間の意思決定のメカニズムについて実証的な検討が進み、人間の選択行動の背後で働いている認知過程の特徴を明らかにする取り組みが続けられてきた。その研究成果に基づいて言えることは、経済学的には不合理であるとみなされる選択行動であっても、心理学的には合理的であると理解されるものが多様に存在するということである。授業テキストの専門書の購入をためらう学生の気持ちがわかる人は多いだろう。

 近年、経済学の中にも、実験を行いながら、人間行動の特性を的確に理解して、その経済行動を理解しようとするアプローチが発展してきている。それが行動経済学である。著名な研究者に、2002年にノーベル経済学賞をツベルスキー(A. Tversky、故人)とともに受賞したカーネマン(D. Kahneman)がいる。もっとも、彼はプリンストン大学心理学部の名誉教授であり、意思決定研究の権威であるので、経済学者というよりも心理学者であると言った方が妥当である。カーネマンとツベルスキーの研究成果としてはプロスペクト理論(prospect theory)が有名である。例えば、1万円減給の場合に感じるショックやダメージの大きさは、1万円昇給の場合に感じる喜びの大きさに比べて、同じ1万円であるのに、かなり違いがあるように感じる。利得に比べて損失が与える心理的影響は大きく認知されるのである。経済学的には、同じ1万円であれば、プラスになるときの喜びの大きさと、マイナスになるときのショックの大きさは同じになるのが合理的である。しかし、そうではないことを、実験データによって実証して、人間の経済行動をより科学的に明らかにすることの重要性をカーネマンたちは知らしめたのである。

 彼らは、プロスペクト理論の他にも、ヒューリスティクス(直感的で自動的な判断)とそれによって生じる種々の心理的バイアスの研究でも、優れた研究成果をあげており、経済行動学発展の礎を築いている。脳科学の発展と、心理学的研究の充実を活かしつつ、行動経済学は、人間の不可解な経済行動の理解を進めている。ただ、こだわっておきたいのは、不可解ではあっても、決して人間にとっては「不合理」な行動選択を行っているわけではない、という点だ。不可解にみえる経済行動には、人間ならではの理由がある場合が多いのである。後悔するのが嫌だったり、これまでの努力・苦労にばかり注意が向いたり、といった理由である。次回以降は、人間の不可解な意思決定と経済行動について、具体例を取り上げながら議論を進めていくことにしたい。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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