第50回 なぜ、やるべきことを先送りしてしまうのか-「双曲割引」の意思決定バイアス-

2014.09.04 山口 裕幸 先生

 夏休みも終わりが近づくと、子どもの頃の宿題との格闘を思い出す。やるべきことはわかっているのだから、計画的に、あるいはさっさと済ませてしまえばよいのに、「まだ夏休みの先は長いさ」と先送りにしているうちに、取り返しのつかない事態に陥ってしまうのである。そして「自分はなんてダメな人間なんだ!!」と自己嫌悪にさいなまれたりしたものだ。しかし、やるべきことを先送りして自滅の道への選択をしてしまうのは、誰もが陥ってしまう心理的な罠のようである。もちろん、いつも先送りしてしまう人から、ほとんど先送りしない人まで、人によって程度に差はあるのだが。

 以下のような場面を想定して、自分ならどうするか考えてみて欲しい。あなたは、ローンを組んでマンションを購入することを決め、販売業者から2つの支払い方法を提示されたとしよう。支払期間はどちらも30年で、ボーナス払いはなく、支払総額はどちらの方法でも同額であるとする。あなたの月給は現在25万円だとしよう。

 支払い方法A: 10年間は毎月6万円を支払い、11年目以降は12万円を支払う。
 支払い方法B: 最初から毎月10万円を30年間支払う。

 実際には支払い方法に応じて金利が異なることが多いので、支払総額に違いが出るのが一般的だが、今はそのことは考えないで、どちらが魅力的な選択肢かを考えてみよう。

 こんな状況に遭遇するとき、多かれ少なかれ、我々がとらわれてしまうのが、目先のことを過大評価してしまい、遠い先のことは過小評価してしまう心理である。具体的に言えば、目先の利益(楽しいことや手に入れたいもの)は、遠い先の利益に比べればもちろんのこと、冷静に客観的に評価して認知する利益よりも、主観的にはずっと大きく感じてしまうのである。損失(嫌なことや避けたいこと)についても同様で、目先の損失は、遠い先の損失よりも大きく感じられてしまうのである。このような、同じ利益や損失であっても、時間的な近さと遠さによって、主観的な評価(認知)に違いが生じる現象は、「双曲割引」の意思決定バイアス(bias=歪み)と呼ばれている。個人差はあるのだが、上述のマンション購入の事例では、当面の支払いが安くて済むAを選択する人の割合は大きい。

 左の図のように考えてみるとわかりやすいかもしれない。そびえ立つ五重塔の前に巨木が生えていたとしよう。遠いところ(時間的に遠い先)から見ると、巨木の高さに比べて五重塔の高さは大きく認知されるのに対して、近づいて(時間的にすぐ目先に迫っている)見ると、巨木の高さは五重塔の高さに負けないくらい大きく認知される。五重塔を遠い先の利益、巨木を目先の利益と考えれば、間近に差し迫っているときほど、目先の利益(あるいは損失)を大きく感じてしまう認知的なバイアスが働いてしまうのである。冒頭の夏休みの事例で考えてみると、自由に遊べる楽しい時間が目の前にあることの利益は過大評価され、他方、予定通り(あるいは今すぐ)宿題をやることの損失も過大評価されるので、より一層「遊んじゃえ。宿題をする時間はまだまだあるさ。」という行動を選択してしまうことになりやすいのだ。

 こうした先送りの心理と行動選択は、古代ギリシャの哲学者たちも悩ましい問題として議論している。アリストテレスは「ある行為を悪いと知りつつ、欲望のゆえにそれを行ってしまう性向」をアクラシア(akrasia:語源はギリシャ語)と呼び、人間の矛盾した行為が発生するわけを洞察している。しかし、図のような説明を見ると、目先の利益を得ることにせっかちになったり、目先の嫌なことを先送りにしてしまったりするのは、仕方のないことなのかもしれない。そういえば、イソップ物語の中には、せっかく商いの神様から金の卵を生むガチョウをもらったのに、卵が生まれてくるのを待ちきれずにガチョウのお腹を切り裂いてしまう男の話が出てくる。目先のことになると我々は冷静さを失いがちであることは、遠い昔からわかっていたことだと言えるだろう。

 筆者も、健康診断のたびに、お医者さんから「メタボ気味だから運動をしてお酒や食べ過ぎは控えるように」と忠告を受ける。そのたびに決意も新たにダイエットに挑戦するが、灼熱の太陽が照りつける中で、一日の仕事を終えた晩は、「ダイエットは明日から?♪」とビールを飲み干すダメ男である。将来の健康よりも目先のビールの魅力が勝ってしまうのである。課題は、この双曲割引の意思決定バイアスを克服する方略だ。次回はその方略について論じることにしたい。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

関連記事一覧