第71回 信頼性の高い行動観察を行うために(5)-「他人の目」からの解放は人間行動にいかなる影響を及ぼすか-

2016.06.15 山口 裕幸 先生

 前回、群集の中では、お互いにどこの誰であるかがわからない匿名性の高い状況が生まれ、それによって、衝動的で感情にまかせた、非合理的な行動をとる傾向が高まる可能性について紹介した。具体的にはどのような行動が起こるのだろうか。こうした傾向を「没個性化(deindividuation)」と名づけた社会心理学者のジンバルドー(Zimbardo, 1969)が行った実験に基づいて、他人の目から解放されることが人間の心理と行動に及ぼす影響について考えてみよう。

 ジンバルドーの実験は、女子大学生が、被害者役として実験に協力した若い女性に対して、どのくらい電気ショックを与えることができるかを試すものだった。

 女子大学生は4人ひと組で実験に参加したが、頭巾とゆったりした白衣を身にまとうように指示された。頭巾には目と口の位置に小さな穴があいているだけなので、お互いに誰なのか識別することができなかった。参加者の半数がこの没個性化条件で実験を行い、残り半数は、比較対照のために、没個性化が生じにくいように互いに誰なのか識別できるように名札をつけてもらって実験を行った。

 実験が始まると、ブースの窓からマジックミラーを通して、見知らぬ若い女性と研究者が話しているようすを観察して、その若い女性の気持ちを判断するように女子大学生に求めた。その際、観察対象の若い女性はストレス環境下における創造性に関する研究の協力者として、電気ショックを受ける実験に参加するために来ていることを伝え、この若い女性の気持ちをより正しく判断するために電気ショックを与えるように指示した。
 被験者の女子大学生たちには、あらかじめ若い女性が面接で話している内容を録音したテープを2種類聞かせてあった。1つは、けなげで心優しい女性であるという良い印象を与える内容で、もう1つは自己中心的で気にくわない印象を与える内容であった。

 電気ショックを与えるボタンを各自に渡し、若い女性の観察を開始したが、観察対象の女性が事前に録音で聞いた会話の話し手であることを告げた。2人の若い女性を観察対象としたが、1人は良い印象を与えた女性で、もう1人は悪い印象を与えた女性であった。

 なお、電気ショックは実際には与えられなかった。女子大学生がボタンを押すとランプがつく仕組みになっていて、電気ショックを受ける役割の若い女性はランプがつくのを見て、顔を歪めたり、身をくねらせたりして苦痛のようすを演技した。

 さて、実験の結果であるが、自分が誰であるかわからない没個性化条件の女子大学生たちは、名札をつけた条件の被験者たちよりも、2倍の電気ショックを与えていた。没個性化条件の女子大学生たちの特徴として、印象の善し悪しに関係なく対象の女性に多くの電気ショックを与えただけでなく、セッションの回数が進むにつれて、電気ショックを与える時間を長くしていったこともわかった。他方、名札をつけた条件の被験者たちは、悪印象の女性に対しては、好印象の女性によりも多くの電気ショックを与える調整を行っていた。これに比べると、没個性化条件の女子大学生たちの電気ショックの与え方は、過度に攻撃的であるように感じられる。

 ジンバルドーは、近著 "The Lucifer Effect"(邦題:ルシファー・エフェクト-ふつうの人が悪魔に変わるとき)の中で、上記の没個性化条件の女子大学生たちの心理には、セッションを重ねるごとに感情が高ぶって、興奮状態になり、1つ前の行動がさらに大きな行動を引き起こすスパイラル効果が発生したのだと論じている。そして、他者を傷つけたいというサディスティックな願望が引き起こす行動と言うよりも、他者を支配し、制圧しているという充足感が引き起こすものだと考察している(Zimbardo, 2007)。

 群集の中で、自分がどこの誰であるか周囲の人々にわからない状況というのは、心理的には、仮面をかぶり、マントを身に着け、自分の衝動や欲望に身を任せてしまう選択をとりやすくしてしまう状況だといえるだろう。それは、人間が普段は抑制している反社会的な言動が表出しやすくなるときである。「他人の目」を意識しすぎるのは精神的に過重なストレスを抱えることになるのでよくないが、「他人の目」を気にするからこそ平穏な社会生活が守られていることを考えると、「他人の目」から解放されるのは、我が家のトイレくらいで我慢しておいた方がよいのかもしれない。

<引用文献>
Zimbardo, P. G. (1969). The human choice: Individuation, reason, and order versus deindividuation, impulse, and chaos. Nebraska symposium on motivation. Vol.17, 237-307.

Zimbardo, P. G. (2007). Lucifer Effect. Blackwell Publishing Ltd.(『ルシファー・エフェクト-ふつうの人が悪魔に変わるとき』、P.G.ジンバルドー(著)、鬼澤忍・中山宥(訳)、海と月社、2015年)

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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