第136回 社会心理学的視点で社会と組織の活力の源泉を考える 7 ~労働生産性向上の視点から(後半)~

2022.03.31 山口 裕幸(九州大学 教授)

 前回、日本の労働生産性が低迷しているのは、ひとつには、働いた時間が長くなるほど多くの給料を支払う仕組みが、多くの組織で長期に渡って採用されていることも一因であることを指摘した。成果を上げて早く仕事を切り上げるよりも、残業してだらだらと職場に居続ける方が、より多くの給料を得られるような仕組みになっていることは、生産性の面でも、職務生活の質(QOWL : Quality of Work Life)の面でも悪影響は大きい。

 なぜ、こんな非合理的な仕組みが日本では採用され続けてきたのだろうか。この点について考えるとき、残業による加算給与が不可欠なほど給与水準の低迷が続いている影響の他にも、日本独特の文化的な要素や日本人の自己観といった要素が強く関係していることを視野に入れて考えると見えてくるものがある。

 自己観(自己概念)とは、「自分とはいかなる人間なのか」という問いに対する自分なりの答えである。マーカスと北山は、北米や西欧等の欧米文化のもとで生まれ育った人々と、日本や中国、韓国、台湾など東アジアで生まれ育った人々では、異なる自己観を持っていることを指摘している(Markus & Kitayama, 1991)。

 マーカスと北山は、欧米では、自己に関心を持ち、他者との違いを認識し、自己を主張することの重要性が強調されるのに対し、日本では他者への配慮、他者への適合、他者との調和的な相互依存の重要性が強調されると指摘している。そして、欧米文化のもとでは「相互独立的自己観」が優勢であるのに対して、東アジア文化のもとでは「相互協調的(依存的)自己観」が優勢であると指摘している。ここで念のため述べておくと、この指摘は、欧米文化で生まれ育った人がすべて「相互独立的自己観」の解釈のみを行い、東アジア文化のもとで育った人はすべて「相互協調的自己観」の解釈のみを行うという意味ではない。いずれの文化でもそれぞれの自己観を同時に合わせ持つ人がほとんどであるが、バランス的にどちらが優勢なのかというと、欧米では「相互独立的自己観」、東アジアでは「相互協調的自己観」とみなすことができるという意味である。安易なステレオタイプに陥らないことが大事なので申し添える。

 この自己観の違いは、他者との関係をとらえるときに対照的な解釈をもたらす。欧米では、自分を他者から分離した(独立した)存在と見なす度合いが強く、互いに異なる考え方を持つことが前提で、一緒に生活したり仕事したりする際には、自分の考えや主張を明快に相手に伝えることが推奨される。これに対し、東アジアでは、自分を他者とつながりのあるものと見なす度合いが強く、余計な軋轢を生まぬように、あからさまに自分の考えや思いを表出することは控え、むしろ互いに相手の考えや思いを「察しあう」ことが推奨される傾向があるという。確かに、我々の(日本の)日常生活でも「空気を読む」ことや「惻隠の情を重んずる」ことを互いに重視しあっている場面にしばしば遭遇する。

 自己観は我々の心の一番奥深くに根づいていて、普段はいちいち意識することさえない「当たり前」の考え方を形作っている。他者とのつながりを真っ先に気にする自己観が共有されている日本文化のもとでは、協力してチームで働くことを前提とした職務設計を優先的に採用することになりやすい。そのことは円滑な対人関係や職務遂行にポジティブな影響を及ぼす反面、自分の業務以外にも他の人の仕事に入り込んだり、絶えず連絡しあい協調して仕事を進める必要に迫られたりする度合いも大きくなる。その結果、本来の業務に集中できなかったり、余計に時間がかかりすぎたり、さらには責任感が拡散したり曖昧になったりして、効率や生産性が落ちてしまうデメリットを伴うことが多い。

 こうしたデメリットを克服するには、自分の仕事と他人の仕事を明快に区別して、各自が自分の仕事に集中し、自分のやるべき業務を効率よく遂行するような職務設計を取り入れる工夫が重要になる。ジョブ型労働の取り入れはひとつの解決策といえるだろう。とはいえ、個々人が単独で遂行する仕事だけで事足りる職場はまずないだろう。どうしても同僚・上司との協調的職務遂行は必須となる。そうした職場の対人関係は、日本文化のもとで生まれ育ち「相互協調的自己観」を優勢に持つ人間にとっては、職務を円滑に進めるうえで最も重要な問題であり続けるだろう。

 1990年代に入って、それまでの年功序列の給与体系と終身雇用制度に代わって成果主義による人事評価を取り入れることが始まったときに、多くの組織や労働者からかなり強い否定的反応が示された。これまでとは正反対の人事評価制度への強い反発や不安が生み出した反応だと思われる。これは、心の奥深いところで、日本文化を彩り日本人の心根に定着している「相互協調的自己観」が、欧米で主流の「相互独立的自己観」を基盤とする成果主義に対して無意識的な拒否反応を示していたのかもしれない。

 今後も、社会の変動にあわせて多様な人事評価システムが試され採用されていくことだろう。そのとき、そのシステムを採用する組織の諸特性を考慮することはもちろん、日本人の心の奥底に根づく無意識的な自己観に注目しながら、日本人のメンタリティの特性を深く理解して、より適応的な導入と運用のあり方を工夫することも大切な視点のひとつだといえるだろう。

【引用文献】
Markus, H. R., & Kitayama, S. (1991). Culture and the self: Implications for cognition, emotion, and motivation. Psychological Review, 98(2), 224-253.
※先生のご所属は執筆当時のものです。

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