第46回 温かいデザイン(22)

2020.07.30 山岡 俊樹 先生

 「21世紀のチェーンストア」(渥美俊一、74-86ページ、2008年)によると、我が国は1980年代から経済大国になったように見えるが、くらしは決して豊かではないという。同書では76の事例を挙げているが、その一部を紹介したい。

・国際ブランド狂信者が多い。ブランドを買うため、すべてを費やしている。
・ルイ・ヴィトンのバッグをもって大シャンデリアのあるパーティ会場に行く。
・ペイストリーは甘くて高脂肪の菓子になっている。
・レタスは水っぽく、ニンジンは味がわずかしかない。
・住居用品の場合、トータルコーディネートした商品を売っている店が少ない。また、品種間で色がまるっきりコーディネートしない。
・天井取付けの蛍光灯のみが部屋の照明となっている。
・家電のデザインが目立つものばかり。
・服飾品の場合、毎日TPOに応じて着替える品種が少ない。
・化粧品は使いやすいコロンが少ない。

 確かに言われてみるとその通りで、間接照明が少なく、家電のデザインが目立ち、家具は室内や他の備品などとのコーディネートが困難である。多くのモノを所有するようになったが、まだそれらを使いこなしていないということであろう。ヨーロッパの街並みを見ると地方ではかなり華やかな色の組み合わせの住宅群があるが、トーンを合わせているので意外とまとまって見える。通常、華やかな色の組み合わせだと、まとまりがなくばらばらの印象を与える。テレビでイタリアのある都市の中産階級のアパートを紹介していたが、その年配の居住者はこざっぱりとした服を着て、室内の造作もシンプルで、我々とのセンスの差を感じた。

 畳の時代が長く、戦後西洋式の生活が主となり、その経験が浅いためと思われるが、何も西洋が良いと考える必要は無く、我々独自の文化を築いていけばいいと思う。しかし、経済がグローバル化し、商品がコモディティ化し、デザインが均一化している。自動車が良い例で、BMWやアウディのディテールを流用したデザインが多く使われ、新鮮味が無い。自動車は一部の高級車を除くと、すでに憧れの存在ではないので、自己主張の塊のようなデザインはもうよいのではと思う。TVのCMで、家族で車を利用して自然を体験しようとPRしているにも拘らず、そのようなデザインの車ではなく、相変わらず自己主張の強いデザインとなっている。近代化→良い生活への憧れ→モダンデザイン→自己主張の強いデザインと構造的に理解することができる。かつてのブラウン製品はシンプルで禁欲的なデザインであったが、これもある意味では自己主張の強いデザインである。モダンデザインに固執せずに、風土にあった我々独自のデザインなり、文化を作っていく必要がある。以前と比べてユーザのデザインに対する意識は高まっているが、文化レベルまでには到達していないと思う。

 先の豊かでないという論点の大きな原因は、商品選択の際のコーディネートができないということである。例えば、ミース・ファン・デル・ローエによるモダンデザインの極致であるファンズワース邸(別荘)ならば、シンプルでモダンな製品以外置けないのが誰でも理解できる。しかし、現実の住空間はそう単純ではなく重層化し曖昧性となっている。この現実空間に対し、コーディネートできない乏しい品揃え(種類は多くあるが)と自己のセンス不足から、使用者は最適解を絞り込むのが困難となっている。こう考えると我が国の公的住宅のデザインのレベルの低さとコーディネートできない什器、家具や電気製品が我々の生活レベルを貧困な状況にしている原因である。以前、バロセロナに行ったとき、一般の集合住宅のデザインレベルの高さに驚いた。特に色の使い方が上手い。ル・コルビジェのマルセイユにある集合住宅(ユニテ・ダビダシオン、一部がホテルになっている)に一泊し、その造形力に共感した。これはその存在を強く訴えたモダンデザインによる公共の建物であるが、なぜか温かさを感じた。約70年前の建築なので、現在のモダンデザインほど先鋭化されておらず、そのように感じたのかもしれない。

 しかし、このような虚仮威かしのようなモダンデザインの時代は終わり、人々に寄り添うようなデザイン、つまり温かいデザインが必要ではないのか。これが心の豊かさに結実するだろう。なぜ訴えかけるデザインが必要なのか、人間との共存を考えて平凡であるが、心温まるデザインではダメなのか?このような視点で、我々の周囲を見ると温かいデザインに結び付くような様々な萌芽を見ることができる。次回、この萌芽例を紹介したい。


ユニテ・ダビタシオン(マルセイユ,著者撮影)

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