第101回 ホリステックな考え方(11) 目利きの能力
2025.2.28 山岡 俊樹 先生
今までホリステックの考え方を述べてきた。今回はそれらを整理したいと思う。図1にあるように構造化してまとめた。
AIの活用が盛んになるにつれ、AIに頼らない仕事が人間に残された領域になるかもしれない。そのためには鋭敏な感覚を持つ必要がある。AIには鋭敏な感覚が無いからだ。我々の現在の生活は、極言すると手袋をして料理を食べたり、文字を書いたりしているのではないかと感じてしまう。箸を持つ感覚、文字を書く感覚が緩くなっているのではないだろうか?これは手だけでなく体全体もそうだ。箸や鉛筆の持ち方が自己流になってしまい、とても美しいとは思えない。偉そうにはいえないが、我が国をリードする政治家や経済人の文字の下手さ加減は残念だ。30年ぐらい前の彼らの先輩達は達筆で驚いた記憶がある。美しい作法により美しい文字が生まれる。このような道具の作法は歴史を通じて洗練されてきたはずであるが、どうなってしまったのだろうか?

1.身体感覚の復活
このようなことから身体感覚の鋭敏化が必要で、そうでないと頭でっかちの人間になってしまう。目利きになる最低限の条件は身体感覚の鋭敏化である。例えば、道路を歩いていると金木犀(キンモクセイ)の匂いがするとき、ああこの匂いはよいなと感じるだろうか?道端に咲いている雑草に目が行くだろうか?電車内で困った人がいたとき、席を譲るだろうか?このような細やかな感覚を失ってはならない。モノ・コト、人の行動に鈍感な人に目利きになれないというのは当然であろう。これが目利きになるための基本条件である。
2.知識と体験の獲得
知識と体験が無いとモノ・コトづくりはできないし、それらの哲学も生まれない。知識や体験の少ない小学生や中学生に新しい自動車について考えろといっても無理である。しかし、笑い事ではない。実際そのような知識や体験が不足し、哲学の無いモノ・コトづくりに係る人が多いのではないかと疑ってしまう。それを痛感させる製品やソフトウエアが意外と多い。あるメーカの技術出身の企画者は、毎年イタリアで開催される展示会に自腹で参加し、最新情報を得ていると聞き驚いたことがあった。ここまでやる目利きもいるのだなと恐れ入った次第である。
さまざまな体験は知識により意味付けされ、体験が構造化される(図2)。高級ホテルに宿泊すると外部の雑音が入らない、空調が静かで気にならない、スタッフの対応が素晴らしい、などの体験が構造化されて高級ホテルに関する知識が構築されていく。
自社の製品やソフトに関し、ユーザにヒアリングし改良点などを得るのは悪くはないが、前提として開発者が目利きとなり客観的に判断できる能力が必要だ。科学主義が重きを置かれた20世紀では、開発者の主観はできるだけ避け、ユーザに聞くことは客観的で科学的であると信じられていた。ユーザとの協創などの考え方は、主体である開発者の目利き能力を減じることにならないだろうか?阪急の創始者である小林一三は、自分の考えで宝塚、東宝、第一ホテルなどの独自のビジネスを考案し、どう考えても協創などは行っていない。

3.構造と時間を考える
我々は時空間の中で生きているので、常に空間と時間の視点から考えるとよい。空間を別の視点から考えれば、構造でもあるのでこの視点から考える。空間にはさまざまな要素が存在するが、それらを目的でまとめると構造化した存在となる。この構造を特定することによりシステム(製品や組織など)の骨格が定まる(図3)。

時間に関して、ローマ皇帝、マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius, 121-180)は過去を知れば未来を予言できると述べ、ドラッカーも同様のことをいっている。この過去とは20年前程度のことではなく、500年前ごろから調べていくとベクトルが分かるという。ドラッカーはグーテンベルグの活版印刷の技術から現在までの世の中の流れを概観し、NPOの存在を予測しぴたりと当てている。
4.全体と部分の関係を考える
インドの哲人クリシュナムルティ(Krishnamurti, 1895-1986)は我々が特定のものを全体から切り離すとき、その特定のものがそれ自身の問題を引き起こすという。そのため全領域に気づくというのは、特定のものを見、同時にそれと全体との関係を理解することであると述べている(自己の変容, P. 81, めるくまーる, 1992)(図4)。華厳宗の一即多、多即一の考えも全体と要素の関係の重要性を述べている。

確かにそうで、ある部分を取り出すとき、全体との関係が失われる例を我々は良く知っている。例えば、所持金が無くなった、食べるものが無い、その点に意識が集中し、全体(この場合、社会)との関係が失われ、窃盗などを引き起こすことがある。
この関係はモノ・コトづくりでも同じである。前回紹介した鉄道駅のホームに置かれているイスの件も同様に考えることができる(図5)。ユーザの使用状況を予測すれば、座る時間は短時間で、さまざまなユーザが使うのでできるだけ自由度の高いデザインが望まれるだろう。しかし、このイスはユーザにフィットさせるため背もたれにS字カーブを採用している。イスという全体に対して、イスには人間工学のS字カーブがよいという部分のみに目が行ったのではないだろうか?S字カーブを採用するには、そのための前提条件を検討しなければならない。

※先生のご所属は執筆当時のものです。
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