第91回 ホリステックな考え方

2024.4.26 山岡 俊樹 先生

 我々は子供のころから身の回りが全世界であると認識してきた。私の場合、小学生時代、小学校と自宅がすべての身の回りの空間で全世界であった。しかし、横浜のデパートに連れて行ってもらい、買い物、食事などをした経験もときどきあったが、日常の世界ではなかった。中学校も同様であった。高校、大学に進むに従って、世界は広がっていったが、それほど変わったというわけではない。社会人になってからも、企業という枠内での判断が多く、身の回りの視点から若干広がったが、本質的にはそれほど変わっていなかったようだ。

 どうも我々はさまざまな判断をこのような身の回りの視点で判断しているようである。このようなミクロ的視点による判断に慣れているせいか、なかなかマクロ的視点、つまりホリステック(全体的: holistic)な視点を持つのがなかなか難しい。

 鈴木秀夫著、「森林の思想・砂漠の思想」(NHKブックス, 1978)を読むと、人間の思想は、森林的思想と砂漠的思想の2つに分けられる。それらの思想はアジアの森林地帯、イスラエルの砂漠周辺地帯から生まれ、前者が仏教、後者がキリスト教をはぐくんだ。森林地帯で道を迷ってどの方向に行っても何とか食べられるが、一方の砂漠地帯では道を間違えると死に直結する。このことから、砂漠地帯ではマクロの視点から全体を把握し判断している。目先の判断では生死に直結するからだ。一方、森林地帯であるわが国ではミクロの視点が優勢で、モノゴトに集中し職人芸が発達し、工芸品などは他の追随を許さない。

 マクロのシステム論は欧米で生まれ、私は以前からこの考えは重要と考えていた。論理的に筋道を作っていくのでモノ・コト・システム作りには必須の考え方だと考えている。このシステム論を学会の論文誌の特集号に企画・編集し、また学会の全国大会でセッションを組んで発表したが、賛同者や参加者は少なかった。デザインや感性系の学会の特性もあったのかもしれないが、それにしても少なかった。一方、ミクロの手法を説明する講演会をZOOMで開催すると驚くほどの多くの参加者があった。無料であること、すぐに仕事に反映できるというメリットのためかもしれないが、この差は何だろうと考えざるをえない。

 その時代に適合したミクロの手法は時代の流れに対応しているが、波間に漂う小舟のようで、時代が変わると波間に消えるような気がする。マーケティングやデザインでは、デザイン思考、UX、ペルソナなどさまざまな手法が提案されているが、改善程度ならば効果を生むだろう。しかし、革新的な製品やシステムを生むだろうか?懐疑的である。

 森林思考の民である我々は、ホリステックな思考も志すべきだと考えている。21世紀に入ってからのモノ・コト・システム作りが、単品からシステムの方に変換しているためである。昭和の単品志向から令和に移り単品を結合して価値を生むネットワーク化、システム化になり、ホリステック思考は欠かせない思考法となっている。

 ホリステック思考は、システムや対象物に対して全体から見ていくという考え方である。具体的にはシステムや対象物の目的を明確に定義することである。目的は1回で決まることもあるだろうが、何回も検討するとその内容が明確になり1つに絞られていく。

 目的が決まるとそれから構造が定まる(図1)。構造とは構成要素の組み合わせであると定義する。すべてのものには構造がある。背骨の無い無脊椎動物にも構造はある。

 製品開発ではその目的とその構造を変えることが、今までに無い斬新な製品を生むのである。構造を変えない表面的なアプローチをしても悪いわけではないが、本質的な改善、改革とはならないだろう(図2)。

 そう考えると目的がいかに重要かわかる。不祥事を起こした会社の共通点は目的があいまいであるか、明確になっていても従業員に浸透しておらず形骸化していたことである。人間は弱いもので、行動規範が無い、あるいはあいまいだと、ついふらついてしまうのだ。

  図1 目的の構造

  図2 製品開発で構造を変える

※先生のご所属は執筆当時のものです。

関連サービス

関連記事一覧