第104回 ホリステックな考え方(14) 全体と部分の関係

2025.5.26 山岡 俊樹 先生

 今回も全体-部分の2項対立の関係を考えてみたい。

2つの目で見ると奥行きが分かる、マクロとミクロの視点で本質が分かる
 この2つの目をマクロの視点とミクロの視点と考えると、この2つの視点で見る、考える対象物の概要、さらには本質が分かる。本質とはその対象物の目的とも言い換えることができる。マクロだけ、ミクロだけを考えると本質が分からず、不安が生じることもある。
 最近のTVのニュースで、将来の不安により警察官による火事場泥棒の話があった。漠然とした金銭不安なのかもしれないが、マクロの見方を取り入れれば考え方が変わる。「われわれは地球に一時滞在を許された旅人」と渡辺京二は述べている(渡辺京二, 無名の人生, p.172, 文春新書, 2014)。けだし名言でこういう見方もあったのかと感動した覚えがある。このように鋭い切り口のマクロ面からミクロ事項を考えるとあいまいな不安などが霧消するだろう。
 われわれは2つの目で他人と比較し、自分のポジションを確認しているようでもある。そうすると他人の動向により一喜一憂して心が休まらない。そこでマクロの見方をする方法の1つとして、宗教や哲学の絶対的な価値観を活用すれば良いだろう。

日報で分かる部下の仕事ぶり(ミクロからマクロへ)
 これは「鈴木敏文 考える原則」(緒方知行, p.266, 日本経済新聞社出版社, 2005)に出ていた文である。これは人の発言や行動を時間軸上でよく観察しているとその人の価値観が分かるという意味である。つまり、その人の発言や行動の目的をとらえると、それはその人の価値観(本質)となる。そのため、得られた発言や行動などのデータを階層化していけば良い。さらに、その価値観はどうして生まれたのか推測するとさまざまなことが分かる(図1)。
 われわれは時空間の中で生きているので、時空間の視点で考えるのが良い。時間は過去の経験、空間は育った環境や生活している環境である。特に、20代ごろまでは過去の影響を受けるが、50代以降になると20代以降の経験に影響を受けるようだ。ある会合で高校卒業から56年ぶりに会った同級生の性格が全く変わっていたので驚いたことがある。当時の顔はよく覚えていたが、顔は変わり、おとなしいシャイな男子から、積極的なリーダーシップのある年寄りになっていた。社会に出てさまざまな体験を踏んで性格が変わったのだろう。
 日報を見るスタンスは、製品開発や時事問題にも同様の対応をすれば良い。例えば、戦後の世界の自動車の変遷を考えてみる。20世紀では個性的な車が多くあったが、その後の21世紀ではグローバル化の波で同じような車になってしまった。日本の家電も同様で昭和30年代ではさまざまなタイプの家電製品が誕生したが、そのうち売れ筋商品が定まってくると自動車と同様に同じような製品が多くなってきた。年々増大する開発費用の負担リスクを避ける意味もあったのかもしれない。 拡散から収斂のプロセスをたどっている。

台湾の自動券売機から台湾は観光に力を入れているのが分かる(ミクロからマクロへ)
 台湾・国立雲林科学技術大学で講演終了後、台北に戻り台湾デザインミュージアムに行った。そのとき使ったのがMRT(地下鉄)で、その券売機には12ケ国の言語による対応が可能であった(図2)。操作後しばらく何の対応も無いと不安になるが、音声付きなので「少々お待ちください」などの案内があり、安心して使えた。台湾は日本ほど観光客が多いとは思えず、なぜかと考えた。2024年度の日本に来る外国人数は約3,678万人、台湾の場合、外国人数は約785万人である。この数値を国民一人当たりに換算すると以下の通り。
日本: 0.29 (日本の人口: 1億2450万人)
台湾: 0.33 (台湾の人口: 2342万人)
となり、一人当たり訪問の外国人数は台湾の方が高いのが分かった。政治的な理由もあるかもしれないが、観光に力を入れているのではないだろうか?

商品動向などから健康志向などの世の中の動向を把握できる(マクロからミクロ)
 自宅近くにある大型スーパーで、同じ企業のミルクチョコレートとカカオ70%が並べて売られていた。あるときミルクチョコレートはほとんど売れていないが、一方のカカオ70%は陳列台から姿を消していた。原料のカカオが入手しにくいという事情があるかもしれないが、それにしても消費者の健康志向が進んできていると思った。しかし、その割にはこのスーパーでは低糖質のパンが置いていないなど、消費者の意識変化を構造的にとらえていないようである。勿論それなりの対応をしている大手スーパーもあるが本格的ではない。わが国の高齢化率〈65歳以上の全人口に対する割合〉は、2024年9月で29.3%であった。高齢化社会などといわれている割に食品などの対応は遅い。

手がかりから企業のマネジメント能力が分かる(ミクロからマクロへ)
 路線バスに乗ると運転席の前のウインドーの上に氏名と安全運転宣言を書いた小さなパネルが設置されている。しかし、同じ会社のバスがすれ違うと、お互いの運転手が片手を上げて挨拶をしている。しかも、新人運転手の試験運転で営業しているとき、その運転手をチェックしている検査官がいるにもかかわらず、同じ会社のバスに会うと片手を上げて挨拶をしていた。奇妙なことに、この検査官は何も注意をしない。この程度は目をつぶって良いとの判断だろうか?これとは逆に、福岡で乗車した際、地元の大手バスでは手を上げずに運転していた。こういう企業こそマネジメント能力があるのではと気がついた。
 大手チェーンホテルのフロントでも気が利かないスタッフがいる。つまり、顧客のことを常に考えて対応できず通り一遍の対応に始終しているのだ。これも企業のマネジメント能力を示している。

鳥の編隊飛行からデザインや製品原則が分かる(ミクロからマクロへ)
 渡り鳥はぶつかりもせず、多くの鳥が群れをなして移動している。なぜであろうか?これを研究した人がいて、「①群れの方向に飛ぶ、②近くの鳥とスピードを合わせる、③ぶつかりそうになったら離れる、- - - 小さな単位の身の回りの関係性だけを決めて、誰もがそのルールに従えば複雑な全体が生まれる、- - -」(甲斐徹郎, 自分のためのエコロジー, p.92, ちくまプリマ―新書, 2006)つまり、部分と部分との関係性を決めておけば、全体が定まるということである。
 確かに、この法則は人間の社会にも適応できそうである。例えば、道路を歩いていても通常、通行人同士はぶつからない。この人間間の距離は、エドワード・ホール(Edward T. Hall)のいう社会距離(social distance)に相当するだろう(エドワード・ホール, かくれた次元, p.171, みすず書房, 1975)。また、家族の関係や一族の関係もこの部分と全体の関係を適用できそうである。家族間の関係を示したウイットゲン・シュタインの家族的類似( family resemblance、家族間やあるオブジェクト間には部分的な共通性や類似性があるという指摘)の考え方も、この法則に対応できそうである。
 プロジェクトの進め方もこの法則を活用すれば、効率よく進めることができるかもしれない。目的・目標を決めた後、メンバー間の関係性を決めておけば良い。リーダと担当者の関係性、担当者同士の関係性である。
 製品・画面デザインや製品開発にも適応できそうである。机の場合、単純な構造を考えて、天板と脚の関係、天板と幕板の関係、幕板と脚の関係が抽出される。この関係を押さえ、人間工学の制約をフィルターとすると、あるグループの机(全体)が絞り込まれる(図3)。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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