第99回 ホリステックな考え方(9) 目利きの重要性
2025.1.10 山岡 俊樹 先生
前回までモノ・コトに関するホリステックな視点から製品開発の方法論を述べてきた。今回は、視点を変えてモノ・コトを考える人間に焦点を当てて言及したい。工学の世界ではなるべく属人的な視点を避けて、論理的・システム的なアプローチが行われてきた。デザインや設計する対象物に係わる人間的要素が少ない場合は、その方法は一番合理的である。
今回、ユーザが係わる製品全般を対象にした場合、目利きがどう係わるのか検討したい。昔、企業に在籍していたころ、製品のユーザビリティ評価をしている担当者の対応を見ていると、どうも自分の考え・意見を前面に出さず、評価者のコメントを重要視していた。実験者は客観的立場に立って、ユーザである評価者の意見を重要視していたようだ。このとき客観主義(objectivism)、合理主義(rationalism)に影響されているのではないかと思いがよぎった。
大学の授業で主観の方法を述べると、学生から主観的なやり方は問題あるのではとよく質問された。どうも高校ではまだデカルト流の考え方が主流のためか、そのような考えが学生に芽生えたのであろう。世の中でもまだ客観主義、合理主義の考え方に染まって、無意識にこのような考え方を持つ人は多い。
事業部長クラスの製品決定権を持つ人は目利き能力が絶対必要である。その能力が欠落している場合、決断できずユーザへのアンケートデータに依存するケースが多々ある。あるとき聞かれて、アンケートデータをコレスポンデンス分析で行ったらどうかとアドバイスしたことがある。これならば各社製品の優劣が二次元上に表示されるので即わかる。しかし、アンケートデータは主観データで、あくまでもユーザの質問に対する表面的なデータでしかない。インタビューでもなかなかユーザの本音は把握できない。新製品の場合、ユーザの使い込んだ経験に基づくデータはないので、他社製品などとの比較で決めている可能性がある。インタビューでもある程度わかるが、本音で喋っているのか不明である。最終決定者は世の中の流れを熟知し、その文脈から新製品はどうあるべきかという思考を持つ必要がある。これがホリステックな視点である。このような努力を常日頃怠っていると重要な決断を迫られた際、アンケート結果や部下に任すといった無責任な態度に始終してしまう。
担当者も同様の安易な態度をとることがある。ユーザとの協創だ。このような対応は悪いわけではないが、担当者が目利きになっていないと意味がないだろう。高感度ユーザと組んでも担当者が目利きできないと良否の判断ができず効果は薄い。決定はあくまでも担当者が行うのであり、高感度ユーザが行うのではない。
この目利き能力は科学技術が代行し、低下しているのではないかと思う。あまりに身の回りの製品が便利になり、逆に我々の身体感覚を低下させている。私の子供時代はナイフで鉛筆を削っていたが、現在は安全な鉛筆削りで対応している。自動車でもマニュアル(MT)車から操作が簡単なオートマテック(AT)車が主流になった。食事は自宅で料理をしなくとも、中食で対応できるようになった。仕事ではどうであろうか?PCの活用により効率よく仕事ができるようになったが、漢字が書けなくなったのではないだろうか?更にAIの活用が進めば、考えるのを放棄する現象が起きそうである。
そこで目利きがお勧めである。どんな分野でもよいので目利きの領域を獲得する。特に芸術の分野だと、人生が豊かになる。小さな目利きの分野ができると、そこから派生した他の小さな目利き分野を作っていくと段々とその分野が広がっていく。仕事では守備範囲が広がり、何でも仕事をこなせる能力を獲得できる。筆者のささやかな例では、デザインから始まり人間工学をへて、システム設計、更にサービスデザインからビジネス構築にまで広がっている。それぞれの内容は大したことはないが本を出版し、視野が広がったのは確かである。
次に、目利きの構造を考えたい。我々は時空間の中で生きているので、時間的側面と空間的側面から考える。
時間的側面: 目利きになるための時間的経過から、①初心者レベル、②中堅レベル、③目利きレベルに分ける。英語レベルで言えば、初心者レベルは英検3級以下、中堅レベルは英検2級程度、目利きレベルは英検1級以上であろう。目利きレベル到達には時間をかければ可能である。従って、やる気を起こすモチベーションが大事である。
空間的側面: 目利きはモノ・コト、システムを構造的にとらえることができる。この構造は意識、あるいは無意識の状態で格納されているだろう。意識下で把握されていれば、理路整然とある事項について述べることができる。職人のスキルのように体験を中心として構築された構造の大半は無意識下にあるので、言語による説明は難しい。
英検レベルで言えば、英検1級は英単語、文法などを把握しているので、ネイティブイングリッシュスピーカーが何を言っているのか理解できる。この構造は知識と体験により構築される。英会話で言えば、英単語や文法などの知識と実際にネイティブと会話した経験である。
知識と経験に関し、仕事の特性によりどちらにウエイトを置くかが決まる。
体験: 工芸職人の場合、一人前になるのが10年-20年の世界である。達人レベルの目利きとなると30年以上かかる。経験が重要なので、ともかく時間がかかる。大学の美術学部、体育学部などは主に体験重視の学部である。
知識: プログラマーの仕事は知識のウエイトが多いため、マスターするには何十年もかからない。大学の理学部、工学部などは主に知識優先の学部である。
知識と体験の両方を必要とする仕事は、製品企画者、医師、建築設計者、インタフェースデザイナーなどであろうか。昭和の合理主義・効率中心の時代から、令和の創造性を求められる時代では、知識と体験による相乗効果が必要であり、大学でも体験と知識を重視する情報系学部が増えてきている。時代の流れであろう。
モノ・コト作りの目利きは「豊富な知識と体験を有し、世の中の流れをマクロ的に把握し、それから演繹的に対象を構造的にとらえる能力」がある人物と言えそうである(図1)。
※先生のご所属は執筆当時のものです。
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