第89回 思考の硬直・停止(その10)思い込み(固定概念)

2024.2.29 山岡 俊樹 先生

 ダイソンの創業者であるジェームズ・ダイソン(James Dyson)は、英国のRCA(王立美術大学)で家具とインテリアデザインを学んだ後、エンジニアリングに興味を持ち造船会社に入りエンジニアリングの仕事をしていた。その後、独立し起業家への道を進み、サイクロン式の掃除機を開発し成功を収めた。

 20世紀を代表する、モダン建築で有名な建築家のミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)は、製図工のトレーニングを受けただけで、正規の建築教育を受けたわけではない。建築史でよく登場するペーター・ベーレンスの建築事務所で力をつけたようだ。その後、実力が認められて、バウハウスの第3代校長を務めた。代表作はシカゴのファンズワース邸他がある。

 彼らの活躍をみるにつけ、我々は専門教育の思い込みをしているのではないだろうか?大学などの正規の教育を受けないと専門家になれないという思い込みである。確かに正規の教育を受けた方がマスターするのに効率が良いし、昔と違って、現在は社会がシステム化して肩書きがないと認めてくれないという背景もある。しかし、それにこだわる必要はないだろう。デザインや一般的な機械設計などの体験のウエイトが高い世界では、何も正規の教育を受けないと仕事ができないというわけではない。

 文系出身だから理系の世界は無理とか、技術系だから営業は無理とか思い込みが駆け回っている。確かに、ある程度当たっているかもしれないが、絶対的に正しいというわけではない。我々のこのような思い込みは、幅広い知識が不足しているためかもしれない。
 以前の大学教育では専門課程に入る前に2年間の一般教育のコースがあり、結構時間を割いていた。そうすると専門課程の時間が少なくなり、社会が要求するニーズにこたえられなくなるのと、学生の希望もあり一般教育の縮小となった。
 高校の授業でも学習する科目数は昔と比べてかなり少ない。文系進学なので、数Ⅰしか勉強しないというのは問題であろう。社会生活をするうえで支障がないだろうか?わが国では文系、理系などと制約を決めたので、幅広く勉強する機会を失わせている。このような状況を打破する意味か、東大で学部と修士の5年間一貫性の教育課程(カレッジ・オブ・デザイン)を作るそうで、幅広く勉強させる方針のようだ。

 社会の変動が激しくなってきている現在では、視野を広げるため幅広く勉強する必要がある。発想力を高めるためである。米国の大学では、主専攻、副専攻を取ることも可能で、幅広く学生に学ばせているようだ。また、学部と大学院で違う専門分野を専攻する学生も多い。学びに流動性がある。

 認知工学のD. A. ノーマン(D. A. Norman)は、マサチューセッツ工科大学(MIT)で電気工学・コンピュータ科学を学び、ペンシルベニア大学で心理学の博士の学位を取得した。その後、カリフォルニア大学サンディエゴ校での教授をへて、アップルの副社長を務めた。現在はインタフェース系のコンサル会社を共同運営している。ノーマンは自分の幅広い体験と知識から認知インタフェースなどの領域を開拓した。
 同様に知り合いの米国のインタフェースデザイナーであるアーロン・マーカス(Aaron Marcus)はプリンストン大学で物理学(学部)を学び、エール大学でグラフィックデザイン他(大学院)を学んでおり、思考は非常に論理的でその守備範囲が広い。

 多分、人間には通常気が付かない「やりたいこと」があり、職業体験やさまざまな日常体験から気が付くようになるのだろう。しかし、専門や職業などの制約により思い込みが発生し、自分自身の可能性を閉じ込めているのかもしれない。自分のやりたいことと職業が一致すれば、一番幸せであるが、定年退職後に見つかる場合もある。加藤仁の「定年後」(岩波新書, 2007)を読むと常識という固定概念にとらわれず実にさまざまな退職者が楽しんで人生を送っているのが目に浮かぶ。

 創造活動や思考をするときの最大のネックが思い込み、固定概念である。新しいモノ・コト、ビジネスを創るには固定概念を壊さなければならない。この固定概念を壊す1つがノーマンやマーカスではないが、多くの専門を持つことであろう(図1)。多くの専門を持つことは、視野が広がり、全く世界の違う専門知識と体験が融合できるので、新しい発想へと導く。図1の縦棒は知識優先の左脳系の領域で、横棒は体験優先の右脳系の領域である。左脳系の知識優先と右脳系の体験優先の領域は、適度に混ざっていた方が望ましい。体験優先の領域と知識優先の領域は思考により結び付けられる。ただ、知識優先と体験優先の領域では、本質的な相違があるので注意を要する。プログラミングや数学などの知識優先の領域は本を読めば大体わかる。しかし、デザインやアートなどの体験重視の領域は厳密に体系化されているわけではないので、本だけではわからず、自分で体験し指導やアドバイスする者がいないと難しい。本を読むことは過去の情報を得ることであるが、デザインやアートは新しい情報・価値を作るのが目的なので、本を読んでも参考になる程度のためである。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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