第80回 思考の硬直・停止

2023.6.5 山岡 俊樹 先生

 日頃我々は考えているようで考えていない場合が多い。以下、その事例を紹介し考察する。

1.階段でのカロリー表示

 図1の写真は京都女子大の階段に表示されていたカロリー表示である。一段ごと昇降すると0.1カロリー減ると訴えている。階段を使わずにエレベーターを使う教職員、学生がいたためであろう。エレベーター=便利という思考が我々の頭の中に定着し、それ以外考えない。しかし、私は年を重ねると足腰から弱くなるという知識を持っていたので、できるだけ階段を使うようにしていた。現在でもできるだけ階段を使うようにしている。階段の昇降という些細なことであるが、時間軸で考えると意外と重要なことを我々に教えてくれる。最近、90歳になられた労働科学・人間工学の大先輩の卒寿の祝いに参加させてもらった。ご本人はいたって健康で、どう見ても人より20歳以上若く見えた。小柄な方であるが、若い時は筋肉隆々であったとか。若い時から体を鍛えていたためであろう。

図1 階段にカロリー表示

2.納税システム

 我が国のサラリーマンの税金は天引きされるので、納税したという意識は低い。確かに、私もサラリーマン時代、納税意識がほとんどない思考停止状態であった。一方、米国ではサラリーマンの税金は天引きではなく、自分で確定申告をするシステムになっている。以前、読んだ本によると、この理由として、納税意識を高めるためと書かれてあった。確定申告に対処するため、米国では多くの公務員を雇わなければならないが、国民に納税意識を高めさせ、税金の使い道をチェックさせるためである。我が国でも税金の使い道は厳しく問われるが、米国の方がさらに厳しいのかもしれない。少なくとも、税について、我々よりも多く考えているだろう。

3.制服の着用

 中学・高校の制服について、いろいろ議論があるようだが、今回のテーマに関してはなくともいいのではないだろうか。制服着用思想の根底に平等主義があるのだろうが、衣服に関する美意識の構築に役立たない。確かに、どの服を着ていこうなどという面倒な思考が不要になるので楽であるが、デザインに対するセンス・思考力が落ちるだろう。欧米で貧富差なく高齢者の衣服や身のこなし方を見ると彼我の差を感じざるを得ない。約30年前にISO・人間工学WGの関係でドイツのイザール原子力発電所のコントロールルームを見学した。その部屋でオペレータは制服ではなく、カジュアルなスタイルで監視制御の作業をしているのを見て驚いた。各自好きなファッションで作業をするのは。個人の存在を引き立て、責任感を持たせ、そのため常に思考させるという力があると思う。

4.事例紹介のみの講演

 デザイン、建築や製品などのモノづくりの分野の講演会で、デザインや企画した事例のみを紹介する人がいる。聴講者にとって、事例紹介は分かりやすいためストレスがなく思考停止状態になるが、概ね好評裏におわるようだ。ただ聞き流す程度のスタンスで参加するならば問題ないが、参加費・時間を取られて事例紹介だけでは元が取れない。つまり、事例を聞いただけでは学習にならず、それらの事例を生んだ構造や考え方を知るのが一番大事である。構造や考え方が分かれば、容易に応用が効くからだ。構造的に言えば、事例紹介は理論提供を放棄し、理論構築は聴講者に任せていると言える。例えば、素人の釣り愛好家に川や海で釣った魚の成果のみを紹介されても困る。魚の釣り方を教えるのが本筋である。

 一方、大工、陶芸などの職人の世界では、師匠は事細かく教えない。弟子は師匠の動きなどから方法、考え方を推定・思考し、すべき作業をマスターしていく。一般的に、あまり細かく教えすぎると人は思考放棄し、自分で考えなくなる。

5.博識・多忙の人

 知識を多く持っている人は、自分で考えることをしなくなる(外山滋比古,こうやって考える,P.55,PHP文庫,2021)。確かにそうで、私の専門の一つである人間工学の知識が必要になる場合、この知見を使えばと良いと他のことを考えずに結論を出してしまうことがある。これでは考えの発展・深耕がなく、一歩下がって問われている事項の本質を考え、その知識の妥当性や他の知識の活用も検討する必要があるだろう。

 また、ビジネスマンは仕事の他、映画を見る、ゴルフを行うなど多忙で刺激の強い日常生活を送っているため、自分でモノ・コトを考える余裕はない。ただ動物のように刺激に反応するだけとなると思考力・想像力がなくなってしまう(安岡正篤,運営を開く,P.59,1991,プレジデント社)。こういう状態を回避するために、寝る前の30分を読書にあてることである。トイレに本を置くのも良いだろう。

6.舶来志向

 欧米の舶来志向は明治時代からの宿痾で、そのため思考停止に陥っている。舶来のモノ・コト、思考はすべてがいいとは限らず、良否を見極める識別力、慧眼が必要だ。海外のモノ・コト、思考を取り入れる場合、それらの前提条件を考える必要がある。特に海外の文化で育った思考をそのまま我が国に流用するのは、前提条件が違うので注意を要する。例えば、自分の意見をはっきり言う米国で開発されたブレインストーミングは参加者が思ったことを自由に述べるアイディア発想法である。しかし、シャイな国民であるドイツ人は使いにくいと考え、喋らないでアイディアを用紙に記入するブレインライティングを開発した。私の体験から日本人にはこのブレインライティングの方が使いやすそうだ。欧米で考えられた制約条件の少ない、アプローチしやすそうな思考法は、概ね前提条件として知識がありセンスの良い人材を対象にしている場合がある。我が国では扱いやすそうに見えるので、皆さん飛びつくのであるが、前提が違うので一時的に盛り上がるだけの場合が多い。一方、国内外を問わず、誰でも使えるように詳細に書かれた思考法は、面倒なので振り向かない傾向がある。

 よく日本人は思考停止などと耳にする。ある領域ではそういう傾向やそのような状況にさせられているのかもしれないが、全体的にはそんなことはない。思考停止は人間独特の特性で、認知の負担を下げるために行っていると考えている。生理的にも無限大の情報を取り入れるのは混乱してしまうので、人間には電磁波の380~750nmしか見えないし、20~20,000Hzしか聞こえない。これらと同じ現象であろうが、人によって違う。頑固な人、バイアスのかかった人ほど、その程度は高い。

 常に考え続けるというのは大変なので、深刻になって考える必要はないが、時々自分の行動や社会のシステムの本質をとらえ、どのように対処していけばいいのか考えると新しい世界が見えてくる。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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