第83回 思考の硬直・停止(その4)
2023.8.29 山岡 俊樹 先生
製品に対する思考の硬直・停止について述べる。
フィアット社のムルティプラ
最近、自宅でフィアット社のムルティプラ(Multipla)(図1)という車の昔の写真を見る機会があった。2003年に私がミラノ市内で撮影したものである。見た当時、なかなか面白いデザインだなという良い印象であった。
しかし、この車はかなりの酷評を評論家から受けた。酷評した評論家たちは従来のデザインに影響を受けていたためか、このような厳しい意見となったと思う。
車体重量に対して、エンジンパワーが弱い欠点があったが、コンセプトは悪くはないと思う。キャビン部分を大きく取り、それ以外のボンネット部分は小さく抑えた形状である。三菱自動車のミニカトッポ(MINICA Toppo)のような構成で、軽自動車のキャビン部分を高くした形状のようにも見える。
グローバル化のためか、売れ筋の車に焦点を絞り込んでいるので、各車の哲学、デザインが似たり寄ったりである。車の哲学・生活提案とデザインがうまく融合していないようだ。つまり、生活提案をしても市場で流行っているデザインを引用するので、似たり寄ったりのデザインになるのだ。そうすると選択肢が少なくなり、顧客は車の哲学・生活提案やデザインではなく、スペック(仕様)、価格で選ぶようになる。
この状況は、以前の我が国の家電に似ていないだろうか?
同じようなデザインで製品哲学が弱いため、顧客はスペックや価格で商品を選択するようになった。そこにダイソンやバルミューダなどが参入して活気づいた。そうすると顧客は思考するチャンスが生まれ、自分の生活を考えることとなり思考停止が無くなる。高いにもかかわらずおいしいトーストが食べられるというので、価格の高いバルミューダのトースターが売れたのである。ダイソンの掃除機、扇風機も同様である。

ブラウン社のシェーバー
私は端正なデザインのブラウン社(ドイツ)のシェーバー(図2)を長年愛用していた。しかし、1984年米国資本の下で子会社化されたとたん、あの端正なデザインが大幅な変更となり、がっかりした記憶がある。
本体をがっちりホールドできるという訴求点を前面に押し出したデザインとなった。ブラウンの造形よりも、この訴求点の方がマーケティング上有利と見た決断だ。
我が国のシェーバーを担当している関係者から聞いた話で、図2の(b)のホールドできるタイプの方が(a)タイプよりも好まれているとのことである。
HMI(Human Machine Interface)の5側面のうち、人間と機械(システム)との間の身体的側面をうまく行うには、①姿勢、②フィット性、③力(操作する力)と私は考えている。フィット性を検討する際、ケースバイケースで対応すべきだ。
以前、私は米国・スチールケース社の事務用イスを自宅で使っていた。職場で使っていて、なかなかフィット性が良いので28年前に自宅用に購入したものだ。自宅だと会社と違って、あぐらを組むなどのさまざまな使い方をするので、フィット性だけでなく、ある程度の自由度が必要だと気がついた。職場と違って、自宅では長時間過ごすことが多いので、多様な使い方が求められるのである。
話をシェーバーに戻すと顔にシェーバーを当てる際、手とシェーバー本体とのフィット性を高めると、一定の持ち方しかできなくなる。つまり、自由度が無くなる。複雑な形状の顔にさまざまな角度で外刃を当てなければならず、そのため外刃のヘッド部分を本体に対して左右に動く仕掛けにしてある。結果として、手と腕の動きに対してヘッド部分が左右の動きしかしないので、うまく顔に当てるため疲れる。手の動きに対して、ヘッド部分の追従性が悪いのだ。
しかし、図2の(a)のようなデザインならば手が自由に動いて顔に外刃を当てることができる。つまりどんな持ち方をしても良いので、手とヘッド部分との追従性は良くなり、疲労は少ない。(a)のヘッド部分は固定または前後に動くようになっている。(a)と(b)の比較をするため筋電図(EMG)で計測しても、大きな力を必要としないので、多分差は出てこないであろう。

一見するとシェーバー本体とのグリップ性、フィット性は分かりやすいのだが、手の動きに対するシェーバーの追従性の方は分かりにくい。つまり、訴求力が無い。そういう理由で(b)タイプが主流になったのではないか?
この差は、我が国と西洋の鋸(のこぎり)の差ともいえる(図3)。我が国の鋸は、フィット性は弱いがどんな使い方も可能である。一方、西洋の方は手とのフィット性が良く、ある一定の角度で使うと使いやすい。しかし、作業する角度が決まっているので、それ以外の角度、たとえば、天井の梁を切ることなどは困難である。

コト・モノの良し悪しは、自分の頭で考えることである。どうもマスコミなどの外部情報の影響力は強く、企業のCMで素晴らしいシーンを見せられると、何となく良さそうだと感じる。
自動車やシェーバーのCMでこういうデザイン、こういう仕様がいいんだなと無意識にそれらの情報が積み重なって判断のもとになっているのではないか?
最初に紹介したフィアット社のムルティプラの評判が悪いので、改良して平凡なデザインにしたところ、前のムルティプラの方がいいという声が出たそうである。
従来に無い新しい考え方、デザインは、体験が無く、それに関する情報が少ないので否定的に判断する傾向がある。
なかなか難しいが、人間工学、システム論などの考え方などを参考にして、じっくり考える習慣をつけたい。
※先生のご所属は執筆当時のものです。
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