第49回 温かいデザイン(25)

2020.10.30 山岡 俊樹 先生

 誤って湯呑を落としてしまい、壊してしまった。これは沖縄のヤチムンの里で約15年前に購入したものだ。本体には沖縄独特の魚の模様が描いてあり、この模様を気に入っていた。陶磁器に金継ぎという割れ目の補修作法があるので、これに倣って瞬間接着剤で割れた部分をつないでみた。自宅の机上のPCの横にこれを置くとまんざら悪くない(図1)。

 人間には五感というセンサーがあるので、自分以外の世界を知ることができる。人間が人間を知るには、主に視覚とその他の感覚を通して知ることができ、相性が良いとお互いの心理的距離感は短くなる。以下、個別の事象で考えてみた。

(1)犬や猫などの愛玩動物も同様でその心理的距離は短い。犬を抱くとき、その視覚、聴覚、触覚、嗅覚から情報を得て、共感を持つようになる。

(2)料理の場合は、通常、視覚、触覚、味覚、臭覚が関係し、美味しいと判断すると、その料理に親しみを感じて、共感するだろう。

(3)万年筆は、視覚、聴覚、触覚が関係し、長く使用することにより、お気に入りの商品になる。

(4)血圧計は、視覚、聴覚、触覚が関係し、長く使っても愛着が持てない。これは人間とのインタラクションが機械側からの一方的な情報の流れが強い為なのか?

(5)エアコンは視覚が主で、弱いが聴覚も影響し、それほど親しみがわく存在ではない。

(6)乗用車の外観は視覚が主であるが、そのインテリアでは視覚、聴覚、触覚、臭覚なども関係し、気に入ると愛車という存在になる。

(7)建築の外観は、視覚が主でその心理的距離は遠い。多くの人々は建築を視対象とせず、意識の中心にないと指摘されている(乾正雄、やわらかい環境論、p140、海鳴社、1994)。 確かに建築は身の回りの製品と比べて、共感の度合いはかなり低い。

(8)都市は概念レベルの存在である。都市が包含するさまざまなオブジェクト、システムから受ける視覚イメージ他の集合体が都市のイメージなのだろう。因みに、米国の都市計画家のケビン・リンチは都市をイメージする要素をパス(道)、エッジ(縁)、ディストリクト(地域)、ノード(結節点)、ランドマーク(目印)の5つを挙げている。

 どうも以上の考察をまとめてみると、視覚を中心とした感覚との接点の多いオブジェクトほど、人間との心理的距離は短く、豊かな感情が起き、共感を得る傾向があると思う。愛用の万年筆と言うが、愛用の建築とは言わない。遠く離れた表示物(トイレの表示など)は視覚情報のみで、何の感情も起きない(図2)。

 沖縄の魚の文様が描かれた湯呑を五感の視点で考えると、視覚、触覚を通して人間と接点があり、視覚と触覚の強さからシンプルで平板な形状、単色のコーヒーカップと比較すると、その存在感はあるだろう。ガラスのコップは無色透明でその存在感はないが、ワインなどの飲み物を注ぐと、俄然、その存在感を増す。その効果を出すため様々なカットがあるが、更にガラスコップ自体の存在感を増すために、着色し薩摩切子や江戸切子などによる演出がされている。


図1 ペン入れとなった湯呑

図2 見やすい表示(京都駅)

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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