第93回 ホリステックな考え方(3)
2024.7.2 山岡 俊樹 先生
モノの形や機能は時間の経過とともに最終解に落ちつく。例えば、戦後、さまざまなスタイルの自動車デザインが百花繚乱のごとく存在したが、ほどなくして収斂した。一例として、日野ルノーのように自動車のドアの開き方は前開き(ドアのヒンジは後方)のタイプがあったが、その後、一般的になった後ろ開きドアに落ちついている。この現象はホリステックの考え方でもある。
通常、製品やシステムの仕様を決める際、直感で重要な仕様を抽出していた。それらの仕様の詳細は次のようなプロセスを踏む。仕様に関するアンケート調査を行い、統計処理(例えば、コンジョイント分析など)によりそれらのウエイト値やその具体的数値を導き出している。しかし、それらの具体的数値といってみても、無限大にあるデータから妥当と思われる3から4項目程度に絞り込んだ数値である。例えば、フィルムカメラの場合、ユーザが重要と思われるシャッター速度、レンズの明るさ、本体の重量や価格を推定し、それらの属性のウエイト値を決め、その具体的数値を算出している。この場合、レンズの明るさが一番重要で、そのうちF:1.4が一番望まれているなどと分析できる。しかし、F1.4といっても、F1.2、F1.4、F1.8、F2.0と事前に適当に決めた数値から選択されたに過ぎない。本当は別の数値かもしれないが分からない。このような分析的な手法は今までさまざまな分野で多用されてきた。
しかし、このような分析的方法は無限大のデータから抽出したわけではなく、事前に絞り込まれたデータの中から最適解を選択したに過ぎない。このような部分的な視点ではなく、全体的に見て判断するのが、ホリステックな方法である。
例えば、自動車開発での最終チェックは、テストドライバーという人間が行っている。このテストドライバーの行っているのがホリステックな評価である。つまり、試作車に対して総合的観点から評価を行っているのである。
同様にイスの開発について、人間とイスとの関係を科学的に厳密に解析して、イスのデザインをしているわけではない。そもそも人間に対し有効に使えるセンサーが体圧分布程度しかないので、人間そのものをセンサーにした方が有効である。
約35年前、スイス連邦工科大学でオフィスチェアの研究で有名なグランジャン教授からイスの話を伺ったことがある。彼は人間の離着席などの行為に着目し、オフィス用イスの骨組みを人間工学の観点から考えだしているという内容であった。人間工学を活用しているから座り心地などが絶対正しいというわけではなく、人間工学の視点からイスに対する考え方を提供していると理解した方が良い。なぜならば、その後にさまざまなタイプの座り心地の良いオフィスチェアが開発されているからである。
フランスのアーチストであり、デザイナーでもあるフィリップ・スタルクがデザインしたLORD YOというプラステック性のイスは抜群に座り心地が良い(図1)。さまざまな体型をした学生達に意見を聞いたところ、なかなか良いとのコメントであった。悪いコメントはなかった。確認したわけではないが、多分、デザインする際、高感度のユーザを使って、試作品に対しコメントをもらい、修正しつつ完成させたのであろう。そのベースとして、ヨーロッパで歴史の長いイスに関する人間工学の知見が多くあり、これらの知見と高感度ユーザの意見から最終形状を決めたのであろう。このようなやり方はホリステックなアプローチといえる。
21世紀に入り人間が扱うさまざまなシステムが複雑になってきている。このような時代において、従来の分析的な方法では限界があり、全体から見ていくホリステックな視点が重要と認識されている。著者の考えるホリステック・アプローチは以下の通り。
1. ある分野の感度を高め、その目利きとなる。
研究や製品開発で、従来方法では研究者や開発者は実験協力者から離れ、客観的立場からデータを採集している。勿論、最後の最終判断は研究者や開発者の主観に依存する。このような作業は有益であるが、更に踏み込んで研究者や開発者が目利きとなったらどうだろうか。つまり、自らの感度を上げる、誰でもできる方法で、徹底的に調べ、見て、触って、聴いて、感じるのがポイントである。つまり、五感の感度を上げるのである。特に、開発者は自分の立場を中立にしてデータ処理結果に依存するのではなく、目利きとなって 自分の力で判断するのである。本田宗一郎、稲盛和夫といった名経営者は自分の力で判断していた。
目利きとは先のイスの例では高感度ユーザに相当する。目利きを活用した方法として、過去から現在までの自社試作品や他社製品のデータを統合・判断して製品の最終解を得ることである。目利きなので判断はぶれないだろう。ある時点で試作品を何台か作りその総合点で決定するよりも有効である。この方法で開発を行っていくとさまざまなノウハウを得ることができる(図2)。このような属人性に頼った製品開発は開発体制の継承ができないという怖れを感じるかもしれないが、得たデータは構造化した詳細なデータベースにしておけば問題はない。この考え方の根底に客観性の限界があるからだ。そもそも人間を客観的にとらえることはできない。
2. 時間から構造化する
a.検討するモノ・コトの歴史からの変遷を調べ、時系列の観点から構造化する。
ドラッカーはグーテンベルグの印刷の発明から時代までの潮流を調べ、NPOの存在を予測した。1990年代に彼の本を読んだが、NPOがそれほど必要になるとは思わなかった。その後21世紀に入り、NPOが大活躍するとは夢にも思わなかった。
b.調べたい事項と歴史上の類似する出来事を調べ、それらの関係を構造化する。
1960年代と現在との比較を「食べること」と「着ること」について検討してみる。例えば、ラーメン屋で、1960年代では各店舗でほぼ同じような味であったが、21世紀に入るとそのようなお店は姿を消し、こだわりのあるお店が登場してきた。ここに「こだわり」というモノ・コトづくりに必要なキーワードを得ることができる。デパートの大食堂は現在ほぼ無くなり、代わりに「こだわり」のある専門店が入居している。また、デパ地下にある店舗も同様に「こだわり」があり繁盛している。洋服店はどうだろうか?1960年代では大半は個人営業のお店で、ただ売るのみで特色がなかった。21世紀に入るとユニクロやブランドのお店が増え、「こだわり」が前面に打ち出してきて繁盛している。
製品やシステムにこだわりがないのは、それらに対する方針・目的がない、あるいは不明確のためである。そのため、安かろう・悪かろうの低価格がすべてとなり市場から消えていく運命となるだろう。
3. 空間から構造化する
全体から、あるいは部分から見て、得た情報をKJ法や二項対立(前回、富永仲基が行った例として紹介)を使って構造化を行い全体を把握する。構造が分かれば全体が分かるためである。例えば、個人→家庭→地域社会→国などの包含関係、階層構造の観点から検討すると良い。


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