第44回 温かいデザイン(20)

2020.05.28 山岡 俊樹 先生

 京都に住んでいると歴史の深さを感じることが多い。東山区に住んでいるが、スーパーに買い物にでかけるとお地蔵さんが多いのに気が付く。800mから1km四方の範囲にお地蔵さんを祭ってあり、いたるところで見られる。昔からそこに置かれてあったためか、新築した建物の一部に組み込まれるなど、様々な設置形態が見て取れる。お地蔵さんに赤い前掛けをかけ、花を生け、清掃をするなど、周囲に住む人々の心遣いが感じられる。私が生まれ育った横浜の住宅地は、戦後できたため歴史が無く、京都の持つ歴史の深さを感じざるを得ない。

 お地蔵さん本体は彫刻された石材であるが、モノを超えた存在で時空間の中で我々との癒しのコミュニケーションが成立している。仏教では釈尊がいて、56億7千万年後に後継者の弥勒が出てくると言われ、この間の無仏時代の世話を釈尊から任されたのがお地蔵さんだそうだ(安田章紀,講話集 菩提樹,第38輯,京都女子大学,2020)。このようなお地蔵さんであるが、知らない人は単なる存在物としてしか認識できないだろうが、知っているものには、お地蔵さんとの交流、その存在感から共感・尊厳・癒しを生じさせている。このような心のつながりが、人間関係さらにはモノづくりでも必要になっている。今後、このような豊かな、癒しのある人間関係をいかに作るかが、これからの社会に課された課題であろう。

 また、京都の一部の住宅であるが、エアコンの室外機の外側に断面が四角い棒を、すき間を空けて並べ、京都の街並みに違和感が無いように配慮してあるのをよく見かける。費用はかかるが、できるだけ周囲の環境を京都風にしたいという願いであろう。エアコンの存在感は無くなるが、京都の街並みの存在感を増し、癒しを生じさせる。

 視野を広げれば、我々の世界の行動基準となっていた効率から癒しへのパラダイム変換が必要になっているではないか?若者が金儲けの世界からNPO活動に力点を見出すなどそのような兆候を見ることができる。

 お地蔵さんやエアコンのカバーの例のように、その価値が分かる人のみ理解し、共感する。当たり前のことであるが、この当たり前を深く考えないモノづくりが横行していないだろうか?グローバル化により安く良いものを享受できる時代になったが、何か物足りない。良い例がカメラで、フィルム時代のカメラと違って存在感が無くなってしまった。製品間の特徴があるのだろうが、みな同じように見えてしまう。車も同様で、グローバル化により国を跨いだ企業連合ができ、同じような車ばかりできてしまった。かつてのシトロエンはどこに行ってしまったのだろうか。言ってみれば、各地の地域性を考慮に入れずに浮世離れしたモダン建築物を世界各地に建てるようなものである。マーケティング上の合理的な判断かもしれないが、マズローの自己実現レベルに到達している現在、お地蔵さんのような作り手と受け手が共感するというモノづくりが必要だろう。作り手と受け手の間をスムーズに結びつけるのがお地蔵さんのようなストーリー(物語)であり、第四次産業革命により生産可能となる個人に特化した商品・システムである。


図 お地蔵さん、なぜか心が和らぐ、人々の心遣いのためであろう

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