第102回 ホリステックな考え方(12) 全体と部分の関係

2025.3.27 山岡 俊樹 先生

 前回説明した「全体と部分」について、更に詳しく紹介したい。

 ポイントは部分のみに注目、着眼して行動するのではなく、常に全体を考えて最適な行動を取ることである。当然といえば当然であるが、部分に夢中になると全体がかすんでしまい間違った行動となる場合がある。なぜ、そうなるのであろうか?部分は常に全体の一部として位置付けられているので、全体との関係も視野に入れなければならないからだ。

 以下、分かりやすい事例を紹介する。

1. 野球で追っても取れない球は追わない
 以前、プロ野球の選手でそのような態度の選手がいた。野球で追って取れない球は追わないという考えは合理的であるが、この効率の考え方はニヒリズムに繋がり、「生きることの全体」で見ると非合理的である。この考え方の延長に何をやってもいつかは死ぬ、だから何をやっても馬鹿らしいという理屈に繋がる。(加藤諦三, 行動してみることで人生は開ける, pp. 168-171, PHP文庫, 2002)
 取れない球は追わないというのは部分として合理的であるが、全体である野球というゲームに対して観客は満足しないだろう。取れない球だが、必死に食いつく姿勢を見せるのがプロの根性であり、観客はそれに拍手を惜しみなく送るのだ。
何事にも常にベストを尽くすのが大事で、それが全体の「生きる」にも通じる。

 同様なこととして、大学で英語による授業の必要性がある。国際化が進み、9月入学が盛んになると英語で授業をする必要性は高まる。現在でも一部の大学では英語による授業がなされている。そのため10年後をめどに教員は学習計画を立てれば、日本の大学のほとんどの授業は英語で行われるのが可能となる。多忙で英語のマスターは無理との考え方は、多忙で学生の指導も無理、多忙で研究も無理と繋がり、自己弁明に帰着する。
 何事も全体との関係を考えるのが大事である。

2. 全体を考えず、ある一部を切り取って、可視化してしまう場合がある
 ドイツ車アウディのラジエターグリルのデザイン(図1)がユニークと思われたのか、自動車メーカの何社かがその部分を切り抜いて、自社のデザインに流用していた。開口部が大きいデザインで個人的には好きになれなかったが、新しいデザインと思われたのだろう。このような個性の強い部分のデザインを採用すると車全体のデザインとのバランスはどうなのだろうか?とってつけたようなデザインにならないだろうか?

図1 アウディのラジエターグリル

 建築の世界でも、ある銀行の外観を黄色一色にした例があり、単体として美しいデザインであるが、置かれている街全体として違和感がないだろか?更にすごいのは、台湾、香港や韓国の町で見られる広告看板の多さである(図2)。そのため町中の建築に多くの建築看板が取り付けられ、バイタリティを感じるが、乱雑なイメージを発散させている。広告看板自体(部分)は悪いことではない。社会(全体)との関係が問われている。わが国もその傾向が強いが、京都では広告看板が規制され、部分と全体との関係はバランスの良い、落ち着いた関係になっている。

図2 香港の広告

3. 全体を考えず、ある一部を切り取って、コンセプトを作らずデザイン・設計してしまう場合がある
 コンセプトを作らず、自分の行いたいイメージをそのままデザインにしてしまう場合がある。アーチストならば問題ないが、モノ・コトづくりでは関係者の合意の下にコンセプトを作り可視化しなくてはならない。

図3 コンセプトを作成してからデザインする

 図3に示すのは、壁掛け時計をデザインする場合である。ユーザの要求事項として「売れる」「見やすい」「部屋に調和」が抽出されたとすると、それを基にコンセプトを作り可視化を行う。あるいはプロダクトアウトのように決め打ちでコンセプトを決めても良い。しかし、コンセプトを作らず、「ユニークさ」のみに焦点を絞りすぎると全体が見なくなる。確かにユニークな時計を提案することができるが、全く売れないだろう。
 コンセプトを関係者全員で議論することにより、全体(社会に受容されるか)に対する部分となる時計の概要が固まる。
 コンセプトを作らず、なり行きに任せると仕様の決定やペルソナの作成のときに、あわてて確認し始めることとなる。これは米国に行く際、行き先の都市を決めずに船を出港させるのと同じである。結果として、右往左往してカナダのバンクーバーに落ち着くかもしれない。

4. 全体を考えず、ある一部を切り取って、行動してしまう場合がある
 スーパーで買い物をし、精算するためレジで待っていると、そこが通路の場合が多い(図4)。早く精算を終えたいという部分の考えが、スーパー全体に対し齟齬をきたし、通行の邪魔となっている。
 JALの国際線の機長が、乗務の前日に規定の3倍の量の飲酒を隠し乗務したため、解雇処分となっている。飲酒(部分)することは悪いことではないが、置かれている状況(全体)からすれば非常に問題ある行為である。機長のような分別のある人間ならば、構造的に全体を考えればそのような行為はしないはずである。視野狭窄に陥っていたためであろう。社会経験のあまりない青年が窃盗を起こした場合も同様で、お金がないという部分が頭の中を混乱させ、視野狭窄を生じたためであろう。つかまって警察官から説得されてやっと全体(社会)との関係に気づくという構造である。

図4 通路でレジ待ち

5. 全体を考えず、ある一部を切り取って、ポスターを作成してしまう場合がある
 京都駅の新幹線ホームの線路を挟んだ東京方面と大阪方面の両側にある掲示板に企業などのポスターが貼られていた。この中で佐川急便のポスター(図5)の完成度が飛びぬけて良かった。その他のポスターは他愛がなく、部分としての単なる商品の提案や舞妓さんのイメージでまとめているのが多くあった。つまり、京都という全体からある部分を切り取ってポスターにしただけなので、感動を生まない。
 佐川急便のポスターは京都の雰囲気に合った、エコの自転車で配達し、祇園に心も配りますと述べ、見る人に共感を与えている。コノテーション(connotation: 内包)として、環境(エコ、京都の風土)に配慮を示し、デノテーション(denotation: 外延)として荷物を配達している状況を示している。荷物の配達という部分だけでなく、伴示的に京都という全体も示しており、提案が重層的になって魅力的なポスターになっている。

図5 広告での全体と部分の調和

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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