第117回 「全体・部分・時間」を活用した観察方法について(5)

2026.6.30 山岡 俊樹 先生

 「全体・部分・時間」の視点から対象物やシステムを観察すると、通常気がつかないことも、この視点が手がかりとなって気がつく。

 先日、スーパーの手前にある交通信号機が青で点灯し始めたので、つられて走り始め横断歩道を渡った。そのような人が何人かいた。よくよく考えるとたかだか1分から2分程度の節約に何の意味があるのだろうか?と思った。車が来ないと信号が赤でも横断歩道を堂々と歩いている人も見かける。どうも我々は効率的に生活するのが賢明と思い込んでいるのかもしれない。21世紀になり時代が変わったので、もう少しゆっくりと生活しても良いのではと思うが、実際ビジネスの世界ではグローバル化のため、モーレツなスピードで時間が進行している。

 このような合理的・効率的な判断は我々の生活の中で必要なのだろうか?我々は合理的・効率的な行動・判断が生活に必要と考えているのかもしれない。このような観点から観察、つまり全体から考えていくと、意外と合理的・効率的と思われる行動を躊躇なく選んでいるのが分かる。これは思い込みで、頭の中にあるメンタルモデルがこのような価値観を保持しているためである。

1. 人間と人間の関係が、人間と機械の関係に変わりつつある
 人出不足ということもあり、人間の仕事がロボットに変わりつつある。レストランでは配膳をロボットが行い、料金の支払いも機械に向かって支払うシステムになりつつある。人との接点がないと、むなしい感じがするがどうだろうか。高級ホテルを除くとホテルでも省力化が進み、生きた生活の場ではなく、単なる時間を過ごす場所になりつつあるのではないか。スターバックスが流行っているのは、単に時間を過ごす場所ではなく、有意義な生活時間として位置づけされているためである。それで絶え間なく顧客が訪れている。

2. 行政や公共機関の効率化
 自宅の近くに小さな公園があり、よくお年寄りが大きな木の下で本を読むなど豊かな時間を過ごしていた。あるとき、その大きな2本の木のうち、1本が根元から切り倒されていた。多分、切り倒された方は電線に接触していたためであろう。しかし、全部切り倒さなくとも電線に引っかかりそうなところのみ一部カットしてもいいのにな、と感じた。この公園から50mほど歩道を歩くと車道にぶつかり、そのまま車道を横切って相手側の歩道に行く人がいた。このため危険と判断したのだろう、渡れないように白い鉄パイプの柵を100mほど設置した。この柵の根本には花がもともと植えられていたが、コンクリートで埋められ全部撤去された。安全性の担保ということもあるだろうが、無粋な風景となり下がってしまった(図1)。ここでも効率・安全が花よりも優先されている。

 公園などに置かれている長椅子にひじ掛けのようなものが後から取り付けられている(図2)。一部の人がこれを独り占めにするのを排除するためなのだろう。長椅子はさまざまな使い方が可能な冗長性の高い椅子である。しかし、ひじ掛けがつけられると使い方に柔軟性がなくなり、逆に不便になると思うがどうなのだろうか。

 鉄道駅ではゴミ箱がなくなってしまった。ごみは自宅に持ち帰りましょうと駅でPRしていたが、効率化の考えであり安全対策のためでもある。
 鉄道の車両(特に通勤電車)も合理化が進み、外観はステンレスで無塗装、これではどの線を走るのか分からないので、カラーシートを本体の一部に貼り付けて、電車を区別している。山手線(黄緑)、中央線(橙)、京浜東北線(青)の通勤電車であるが、どうしても冷たい感じは否めない。こういう合理化の流れに対して、一線を画しているのが阪急電車である。企業のアイデンティティを確保する意味なのだろう、コストがかかるがアルミ車両でも外観にマルーン色を塗装している。特急電車だけでなく、通勤電車でも室内は豪華である。企業としての方針・パーパス(企業の存在理由)が明確にないと安易に合理化案に飛びついてしまう。通勤電車といえど、貨物電車ではないので、わくわく感のあるデザインが望まれる。合理主義を更に進めていくと、寒々しい風景が我々を待ち受けているかもしれない。

3. 反合理主義と倫理観の動き
 新幹線の車両やスーパーの売り場に出入りするさい、関係者が頭を下げているのをよく見かける。この現象は最近ではないだろうか?昔は見られなかった。AIで調べると感謝の気持ちを示すなどと書いてあった。行動の無駄を省くという合理主義の観点からすれば必要のない行為だろう。しかし、この頭を下げるという行為は、何回も行っていくと次第に本人の心に感謝の気持ちが芽生えてくるのではと思う。ある意味、神社やお寺に参拝に行くのと同じではないだろうかと思った。
 反合理主義の動きに連動して倫理観も高まってきている。企業でのセクハラ、パワハラなどはかなり厳しくなってきているし、この動きと符合するのが芸能界の不祥事に対する厳しさだ。
 これらの動きの底辺には多様化のうねりやコンサマトリー(Consummatory)の動きが関連しているのだろう。コンサマトリーとはインストゥルメンタル(Instrumental)の対極の考え方で、今を楽しむといった考え方である。一方のインストゥルメンタルはある意味、合理主義がベースにあり、目的志向で将来のために何をやるかを考えることである。ニーサ貧乏がまさしくこの考えを反映した現象である。以前はこの考え方が強かったが、転職が一般的になると将来を考える意味が弱くなっている。

 観察するさい、現実の事象面を見るのだけではなく、その現象を動かしているベクトルを押さえる必要がある。そのためには幅広い知識と体験が必要だ。

図1 安全優先の考え方

図2 長椅子の改良



※先生のご所属は執筆当時のものです。

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