第118回 「全体・部分・時間」を活用した観察方法について(6)

2026.7.31 山岡 俊樹 先生

 「全体・部分・時間」の視点から対象物やシステムを観察すると、通常気がつかないことも、この視点が手がかりとなって気がつく。

 今回は合理主義を乗り越えた事例を紹介したい。

1. 那覇市の緑化方針

 6月、沖縄・那覇市に骨休めに行った。県庁と市役所の間にある歩道を歩いていたら、歩道の真ん中に大きな木があり、行く手をふさいでいた(図1)。その木の上を見ると枝の間を電線が何本も通っていた。電線には枝を傷めないように黄色のプロテクターが取り付けられていた。そのほかの道路でもこのような木と電線の共有の光景があった。

図1 木を傷めないように電線にはプロテクター

 そこで、市役所の道路を管理する部門に聞きに行った。担当者は親切に対応していただき、以下のことが分かった。
①那覇市は緑化の方針がある
 この大きな方針のもと様々な関連事項を決めている。歩道の真ん中に木があっても、この方針から切らずに対応している。この件に関し、苦情はなくはないが、方針を説明して理解してもらっている
②枝に当たる電線にはカバーをつけて保護している
③木が腐ってきたら危険なのでカットする
④枝を裁断するのは電力会社が行っている
 緑化という大きな方針(全体)があるので、この方針のもと様々な対応(部分)がなされているようであった。多分、この方針は時間をかけて収斂されていったのではないだろうか?

2. 脱モダンの動き~脱合理化の動き

 モダニズムは芸術、建築やデザインの様式であるが、我々の行動規範ともなっている。20世紀では機能的、合理的で、無駄のない生活を信条として、人々は無意識に生活してきたのではないだろうか?当時の自動車や家電製品のCMを思い出すとそのようなベクトルによる訴求が多くあったように思う。時間泥棒に立ち向かった「モモ」を執筆したミハエル・エンデはこのような合理主義の動きに対して、警鐘を鳴らしていた。イタリアのデザイナー・建築家であるエットレ・ソットサスはモダンデザインの限界を感じて、1980年にデザイナー集団・メンフィスを作り、ポストモダンデザインを推進した。わが国では一時話題を呼んだが、脱モダンを考えるレベルまでには至らなかった。しかし、21世紀も四半世紀を過ぎるとさすがにモダンデザインに対する考え方も変わってきて、機能性・合理化を乗り越えた建築やデザインが生まれつつある。人々の価値観も多様化し、現在は脱モダンの時代だと認識している。



※先生のご所属は執筆当時のものです。

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