第119回 「全体・部分・時間」を活用した観察方法について(7)

2026.8.28 山岡 俊樹 先生

 「全体・部分・時間」の視点から対象物やシステムを観察すると、通常気がつかないことも、この視点が手がかりとなって気がつく。

 「モダンvs脱モダン(ポストモダン)」の構図から、アート、建築、デザインについて考えてみたい。
 脱モダンとはモダンの合理主義や機能主義を乗り越える考え方である。
 マクロの視点から芸術やデザイン運動の動きについてみると、最初に反応するのはアートであり、次に建築、最後にデザインと続く。その理由は主に活動に関する制約の程度である。アートは主に個人からの発信で、制約があまりなく自由度が高い。逆にいえば、アートこそ自由に社会に問いかけることのできる世界でもある。建築の与える影響範囲はクライアントやその地域が主であるので比較的自由度は高い、といってもコスト、規則などの制約は多い。デザインの製品デザインやインタフェースデザインの影響は日本全体に影響を与えるので、モノづくりや販売に絡む制約が大きく冒険的なデザインは難しい。デザインでもグラフィックデザインやファッションデザインは製品デザインと比較して、制約が少なくデザイナーの属人性が高いので、アートの世界に近い。
 1980年代初め、製品デザインではソットサスが組織したグループ、メンフィスにより脱モダンの動きが始動したが、アートや建築ではすでに始まっていた。


1.石田徹也の絵画
 2005年に夭折した画家、石田徹也をご存じだろうか?彼はモダニズム(近代主義)の合理主義の考え方に疑問を投げかけた画家であった。閉塞感や孤独感を描いているが、その根底には合理主義に対する問題提起をしている。
 「燃料補給のような食事」と題した絵がある。レストランのカウンターのようなところに、3人のサラリーマン風の客が座っている。それぞれの客の前にいる店員が上からつるされているホースを通して、自動車にガソリンを注入するように、客の口に料理を差し込んでいるというシーンである。多分、昼食だと思うが、そこまで時間を惜しんでいるという悲しい現実を表現している。
 ヴェネチア・ビエンナーレ、香港、スペインや米国での展示会が開催され好評裏に終わっている。彼の世界観に共感を覚えた人々が多かったのだろう。


2.グラフィックデザイン
 東京ミッドタウンで開催された「日本のグラフィックデザイン2026」(6.26-8.6)展を見に行った。実際に制作されたグラフィックデザインを募集し、選抜されたデザインの展示会である。ほとんどはシンプルで無駄のないモダンデザインであるが、その中で脱モダンを感じさせるデザインが何点かあった。
 その中でも図1(b)に示す「最果タヒ」展のポスターはモダンデザインにない構成で従来にない感性を感じた。図1(a)に示すように、モダンデザインによるポスターの場合、目を引くため中心部に写真やイラストなどを配し、上部にタイトル、下部にその詳細データを示し、主張を明確に伝えるのがその基本となっている。勿論、このバリエーションは多数あるが、本質は主張を明確に効率よく伝えるのがミッションである。一方の「最果タヒ」展のポスターは、2つの構成要素から成り立っている。1つは伝えたい情報を細分化し、それをさまざまな形状に記載していることだ。2つ目は記載されたさまざまな形状が整理されて、上部から下部へと流れていく構成をとっている。従って、情報の中心性はないので強さはないが、モダンデザインにない安心感、豊かさを感じる。
 モダンデザインの方は訴求の中心性はあるが、一方は中心性の喪失といっても良い。別の見方をすれば、モダンデザインが「空間」を重視しているのに対し、一方は「時間」を重視しているともいえる。


3.ファッションデザイン
 この分野の専門家に伺ったところ、1990年代以降脱モダンは陳腐化し2000年代では終焉したとか。建築などでもテーマに上がったジャック・デリダ(1930-2004)の「脱構築(deconstruction)」の考え方がファッションデザインの世界でもあり、服の構造を壊す例や左右不均衡のデザインなどがあったそうだ。


4.建築
 脱モダンの建築は1960年代のロバート・ベンチューリ(Robert Charles Venturi Jr.)の作品群が有名である。彼の書いた『建築の多様性と対立性』(Complexity and Contradiction in Architecture、1966年)は脱デザインのバイブルといっても良いだろう。若い時、この本を読んだ思い出がある。その後、脱モダンは脱構築などのさまざまな展開があり、現在は一段落しているようだ。図2の建物はシンプルなモダンデザインでは面白くないと思ったのか、外壁に塗装して外壁が一部凹んでいるような錯覚を起こさせている。こういうデザインは脱モダンというのだろうか?筆者の記憶では、米国で倉庫だったと思うが外壁を実際削り取って凹ました建築を1980年代に雑誌で見た記憶がある。


5.まとめ
 マクロ的にいえばモダンデザインは理知的、合理的で人々に浸透し、人工物の大半はこのデザインで構築されている。しかし、感性を要求される人工物(例えば、美術館など)は、人間との関係を問われるので脱モダンの方が、親和性が高い。しかし、建築やファッションデザインの世界では、従来のモダンデザインとの差異を強調するためか表層部分に注力しているようだ。人間と人工物との本質的関係を考えていくべきではないだろうか?



図1  モダンデザインと最果タヒ展のポスター



図2 外壁が凹んでいるように見える建物


※先生のご所属は執筆当時のものです。

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